マルゼンテクニカ
2019年05月09日

マルゼンテクニカトミカ01

丸善石油(現コスモ石油)は創業明治40年の老舗石油元売大手企業です。
50〜60代以上の方ならツバメのマークや小川ローザが「オーモーレツ」と言ったCMを思い起す事でしょう。
その丸善石油のモータースポーツオイルのブランドが「テクニカ」と言うものでした。
1970年代になると石油元売り各社はモータースポーツへのスポンサー契約を積極的に進めるようになります。
一方、1968年にレーシングドライバー鈴木誠一氏らによって設立された「東名自動車」(現東名パワード)は、日産系のレーシングカーチューナーとして頭角を現して来ました。この東名自動車と丸善石油がタッグを組んで数々のレースで戦績を残す事になります。

マルゼンテクニカトミカ02

●マルゼンテクニカ東名サニー
1970年1月に発売された2代目B110型サニークーペは、1.2リッターOHVのA12型エンジンを搭載していました。OHVなので常識的には高回転は望めな いとの理由も有ったと思いますが、当初日産自動車はレース参戦の意思は無かったようで、レース用のパーツなどは一切供給していませんでした。そのサニーに 東名自動車が独自にエンジンと車体にチューニングを施した車両で、同年11月に開催された全日本富士ストックカー200マイルレース」に出場しました。鈴木誠一 氏のドライブでデビュー戦にしていきなり優勝を勝ち取り、サニーのポテンシャルを世に知らしめる事になります。圧倒的に優勢と思われたワークスカローラ を蹴散らしての優勝は、日産自動車をも多いに慌てさせて事でしょう。
トミカは1971年5月30日に開催された「トランスニッポンクーペシリーズ(トランス
クス)第3戦 日本海間瀬200キロレース大会」での優勝マシンを再現したものですが、ボディを前後に貫く矢印型のストライプに水色と青色の2種類が有りました。
どちらもガリバーの特注品で、水色が1994年10月頃、青色が同年12月頃に発売されました。当時の定価は何れも1300円(税別)でした。

マルゼンテクニカトミカ03

●マルゼンテクニカ東名セドリック
1971年2月に発売された3代目230系セドリックに東名自動車がチューニングを施したマシンは、1971年11月23日に開催された「ストッカー富士200マイルレース」で デビューを果たしました。鈴木誠一氏のドライブで初戦は3位とまずまずの成績でしたが、1973年5月27日の「ストッカー筑波150キロレース」で遂に 優勝を果します。因みにこのセドリックにはプレジデント用の3リッター直列6気筒のH30型エンジンが搭載されていました。
トミカはロムの特注品で1995年10月頃に発売されました。当時の定価は1400円(税別)でした。
箱 には車両の説明が有りませんが、フロントフェンダーにフランスのライトメーカー「マーシャル」のステッカーが再現されている事から、1971年のデ ビュー当時の車両と思われます。本来マーシャルの隣にコカ・コーラのステッカーが有る筈ですが、これは版権の関係で付けられなかったのでしょう。
ところで、トミカには230系のセドリックがないので、代用として230系グロリアでの再現となっています。
グロリアとセドリックは基本構造は同じながらも、フロントグリルやリアのランプ類、更にはボンネット等が異なります。しかしトミカサイズでは殆ど違和感なくセドリックを再現出来ているのではないでしょうか。
よーく見ると前後ナンバープレートやドア前方のフェンダーの「GLORIA」の刻印が有りますが、それはご愛嬌と言う事で(笑)

マルゼンテクニカトミカ04

●マルゼンテクニカ東名240ZG
1969年11月にデビューしたS30型フェアレディZですが、1971年10月には対米輸出専用だった2.4リッターのL24型エンジンを搭載した240Zを国内にも投入します。
それまでも一部のチームで逆輸入車のダットサン240Zをレースに使用していましたが、国内販売を機に多くのチームが240Zで参戦するようになりました。
トミカは1997年2月頃にアイアイアドカンパニーが特注したもので、当時の定価は1300円(税別)でした。
ルーフにK.TAKAHASHIと有りますので、当時東名自動車に所属していた高橋健二氏の車両の再現である事が判ります。
240Zのロングノーズ仕様である240ZGを東名自動車がチューニングしたマシンでしょうが、ゼッケン12番は1972年5月2日に富士スピードウェイで開催さ れた「1972年日本グランプリ」に出場した車両と思われます。戦績はDQ(失格)となっていますが、何故この車両をトミカ化したのかは謎ですね。

品番 ベース車名 備 考特注元
15-2-16 日産サニークーペ
1200GX レーシング
水色ラインガリバー
15-2-17 青色ライン
85-1-8 日産グロリア2000GX セドリックを再現ロム
58-1-51 日産フェアレデ240ZG  アイアイアド
カンパニー

1970年代初頭のモータースポーツの歴史の中で、東名自動車とマルゼンテクニカは大きな爪痕を残しました。東名自動車は鈴木誠一氏のドライバーとしての力量が大きかったのは勿論ですが、チューナーとしてのセンスと実力は日産自動車にも影響を及ぼすほどでした。
ところが鈴木誠一氏は1974年6月2日のGC第2戦のレース中に他車の事故に巻き込まれる形で事故死してしまいます。
氏の他界はとても残念な事ですが、東名自動車は東名パワードと社名を変えながらも、現在までそのスピリッツを受け継いでいるのは素晴らしい事ですね。

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